はじめまして!全日本ラージボール卓球選手権初代チャンピオンのわった(池田亘通)です。
自分は現在、新卒で勤め始めた会社を4ヶ月で辞め「卓球フリーランス」として以下の活動を中心に行なっています。
- YouTubeやブログなどのweb系の活動
- 卓球のレッスンやコーチ業などの卓球を教える活動
- 卓球関係の会社からいただく講習会などの仕事
などなど。卓球を軸にマルチに活動中。
拠点は関東ですが、全国各地で講習会や大会の出場をしています。
今回は、そんなちょっと変わった経歴を持つ自分の自己紹介をしていこうと思います。
わったの自己紹介
【小学校編】
2年生の時に児童館で卓球に出会う
卓球は小学2年生から始めました。
始めるきっかけになったのは、児童館でやった卓球がめちゃめちゃ楽しかったから。
みなさんご存知の愛ちゃんこと福原愛選手のように、親が卓球をやっていてゴリゴリに教えられていたわけでは全くありません。
なので当然、始めたのも遊び半分。
小学生のうちは参加人数も少ないので、組み合わせ次第では全国大会に行ける時もあり、全日本選手権カブの部・ホープスの部で計2度全国大会に出場しました。
しかし、全国大会では当然1回戦負け。悔しいという感情すらあまりなかったように思います。だって本気で取り組んでいなかったから。
好きなことといえば、毎日日が暮れるまで外でやっていた鬼ごっこ。足が速かったので本当に鬼ごっこばかりやっていたわんぱく少年で。
楽しくて始めたはずの卓球も、いざクラブチームに所属して、きちんと練習し始めるとつまらなくなってきました。週3回しかなかった卓球の練習に行く時が憂鬱でずる休みした日も何度かありました。
そんな自分でしたが、中学校入学と同時にちょっとした変化が起こります。
【中学校編】
中2で全日本ジュニアの代表へ!監督の死をきっかけに自分で考える卓球へ
自分が入学した中学校は、公立にも関わらず卓球に非常に熱心に取り組んでいる学校でした。監督がとにかく、卓球LOVEの人。
小学生のうちは週3回練習していたのが、中学校入学と同時にほぼ毎日練習をする生活に切り替わりました。
そんな中で、自分も「もっと真剣に卓球に取り組んでみよう」と心境が変化。
週3日ですら乗り気でなく練習していましたが、毎日ハードに練習をこなす中で「頑張るって案外楽しいかも」と気づき始めました。
そこから少しずつ成長するようになりました。
- 北海道のカデット予選で北海道チャンピオン
- 中学2年生にして全日本選手権ジュニアの部の代表権を獲得
北海道は全国的に見てもレベルが高い地域です。そんな中で中学生にして全日本ジュニアの代表を取ることはすごいことだと振り返ってみて思います。
そんなこんなで少しずつ結果を残し始めたわったですが、ここで悲劇に見舞われます。
全日本ジュニアの代表権を獲得したわずか2ヶ月後、監督が亡くなってしまいました。北海道の中でも中学校卓球界では知名度のある監督だったので、結構衝撃が走りました。
当時は、そりゃショッキングでした。学校での練習も、ほぼ毎日練習ができていた環境から週3日しか練習ができない環境に。
当然、卓球について教えてくれる人もいなくなりました。そしてしばらく、低迷していく時期が続きました。
しかし、全然勝てなくなってしまった時期が半年ほど続き、ある日ふと思いました。
「このままでいいのか」
「今の環境でもやれることはあるんじゃないか」
ここで初めて、誰かに教えてもらう卓球から自分で考える卓球に切り替わりました。
今となっては自分で考えるのなんて当たり前だろと思いますが、中学生にして自分で考えて卓球をすることができる人は果たしてどれくらいいるのか。
そこから、与えられた環境でベストを尽くすために頑張るようになりました。
低迷していた時期を乗り越え、中学3年生でも全日本ジュニアの代表を獲得。復活を成し遂げました。
【高校時代編】
名門の北海道尚志学園高校に入学!
ある程度実績を残したおかげで、当時全国でもベスト8に入る強豪校「北海道尚志学園高校」に入学することができました。
入学を決めたのは割と早い段階でしたが、いざ行くとなると不安もありました。
自分の地元は函館、高校は札幌。親元を離れて寮生活をしながら卓球に打ち込む生活になるからです。
それでもチャレンジしたい欲が抑えられませんでした。
「どうせ行くなら、卓球に人生を賭ける3年間にしよう!」そう決意したのですが、想像以上にしんどかったです。
北海道で勝つのがやっとの状態から、全国トップで戦う選手と対等に戦えるようになるためには、想像を絶する努力が必要でした。
自分の中では努力しているつもりでも、どこか足りない部分がきっとあったんだと思います。
愛工大名電高などの全国トップで活躍する高校や、関東の1部リーグで活躍する大学にお邪魔して練習をする時もありました。
そんな環境で揉まれ、強くなっている実感はあったし、実際に成績も残しつつあった。
けど、自分が当時立てた目標の「インターハイでランク入りすること」は達成することができずに終わってしまいました。
練習試合や合宿などではある程度全国トップ選手と戦えるようになった。けど、本番でなかなか勝てない。
そんな生活が続き、いつしか卓球が嫌いになりました。
大学へは関東の大学5つほどから進学のお誘いがありましたが、地元の国公立大学へ帰ることを決意。
なぜらな、卓球をやめるため。
1日8時間卓球をしていた生活から、1日8時間勉強をする生活に切り替え、地元の国公立大学、北海道教育大学に進学しました。
【大学時代編】
クズ大学生からもう一度卓球へ
卓球漬けだった高校生活3年間から解放されて、最初ははっちゃけていたと思います。
バイト行って、オールして、学校サボって、またバイト行って、オールして…よくいるクズ大学生の典型でした。
そんな生活を半年くらい続けて、ふと思うことがありました。
「あれ、卓球やりたい」
卓球が嫌いになり、やめるために地元に帰ったのに、再び卓球がやりたくなるという不思議。
自分のことがよくわからずモヤモヤしたので、「なぜ卓球が嫌いになったのか」その原因を分析してみることにしました。
高校生活でなぜ卓球が嫌いになったのか。分析したら見えてくることがありました。
それは、自分で考えることを放棄し、やらされていた卓球だったこと。
- 中学校の辛い時期を乗り越え成長したきっかけは、自分で考える卓球をするようになったから。
- 中学時代に恵まれない環境で強くなれたのは、自分から好きで卓球の練習をしていたから。
この2つが、高校時代に追い込まれすぎて忘れてしまったものでした。
この原点を思い出し、卓球の楽しさを思い出し、「もう1度全国トップ目指してやってやろうじゃないか!」そんな思いが強くなりました。
と言っても環境的には最悪です。強い練習相手、いません。学業とアルバイトに追われ練習をする時間、ありません。
でも、「そんな環境でも強くなり、結果を残すことができる」そんな夢を与えられるような選手になろうと決意しました。
【ラージボール編】
ラージボールデビュー!全日本選チャンピオンへ

全国トップを目指すと言っても、硬式の日本代表を目指すことはさすがに無謀。(夢を持つことは大切ですが、あまりに無茶な夢を追いかけるのは違うと思っています)
そんな時にふと見つけたのが、ラージボールです。
きっかけは、函館市で一般開放している体育館で年配の方が楽しそうにラージボールをしている姿でした。
「ラージボールってラリーが続いて楽しそう!」
そう思い、ラージボールについて色々調べました。
すると、ラージボールで当時全日本4連覇している選手がいるのを発見。
「やるからには夢は大きく!チャンピオンを倒して自分が日本一になってやろうじゃないの!」
そこからラージボールについて試行錯誤を始めます。しかし、周りにはラージボールを教えてくれるような人はおらず。
となるとやるべきは自分の原点、考えて卓球をすること。
幸いにも、YouTubeにラージボールの動画があったのでそれらをチェック。
「どうやったら勝てるか」
「このパターンの時はどのように戦うのがベストか」
を、楽しみながら研究するようになりました。(高校時代と違い、楽しみながら研究できるようになったのが成長した部分ですね)
ラージボールを誰かに教わることはできないけれど、自分の頭で考え、練習することはできる。
その思いを持ち、試行錯誤を始めました。
ラージボールのデビュー戦!当時の日本一位に勝利
ある程度研究した中で、ラージボールのデビュー戦に出場しました。
そこに出場していたのが、現在Nittakuのラージボールプランナーを務めている藤本さん。(藤本さんは昨年の全日本ラージボール選手権で40代で日本一になっています。)
いわば、ラージボールのプロですね。
そんな相手とデビュー戦の予選リーグで試合したんだから、たまったもんじゃない。ある程度競りはしたものの、普通に負けてしまいました。
「ラージボールは硬式と全然違うなぁ」
「ラージボールのトップ選手はあんな戦い方をするのかぁ」
試合を見て考え自分の経験値として蓄積していきました。
幸いにもその試合は予選リーグ2位通過もOKだったため、予選をなんとか突破。
自分の試合の合間にも研究を重ね、再びその試合の決勝で藤本さんを試合をすることになりました。
結果としては、フルセット11-9で勝利!
勝因としては、試合の中で考え、修正し、成長していったからです。そこから自分の、ラージボールの快進撃が始まりました。
全日本初出場での初優勝、それからの快進撃
その年に、ラージボールの全日本選手権に挑戦。
結果としては、初出場ながら全試合ストレート勝ちで日本チャンピオンに輝く偉業を達成!
こんな人、我ながらまあいないと思います。
硬式の「元世界チャンピオン小野誠治さん」や、元日本代表「仲村錦治郎さん」が出場してもなかなか日本チャンピオンになれないくらい、ラージボールは奥が深いです。
ラージボールは硬式が強いからといって簡単に勝つことができない、ラージボールならではの戦い方・考え方ができる選手が勝てます。
翌年の全日本選手権でも、第一シードのプレッシャーをはねのけ、全試合ストレート勝ちで日本チャンピオンになることができました。
この記事を書いている現在(2019/6/1)、3連覇に向けてまさに追い込み中の時期です。どれだけ結果を残そうと、決して油断することなく、コツコツと積み重ねていきます。
自信がつき、硬式でも活躍できるように
さて、ラージボールで活躍できたのは、上述した通りです。
じゃあ、硬式はどうなのか。面白いことに、環境的には最悪の中でも高校時より強くなっています。
高校時との変化は2つ。
- 自分で考えて卓球をするようになったこと
- 自信がついたこと
高校時は、実力的には強くなってきていても、どこか自信のないプレーをすることが多かったです。
それがラージボールで結果を残すことで「自分でも努力すれば高いレベルで戦える!」と、良い意味での自信を身につけることができました。
卓球は何かのきっかけで劇的に変化することがあります。そのきっかけはどこに転がっているか、わかりません。
「卓球フリーランス」としての現在の活動
冒頭で述べた通り、現在は「卓球フリーランス」として活動しています。
自分のような働き方をしている人は業界的に初なので、自分が新しい道を切り開いていこうと思っています。
卓球関係の会社から請け負って仕事をしたり、卓球コーチとして個人レッスンやYouTubeへの動画投稿などを行っています。
自身のYouTubeチャンネル「わったの卓球Vlog」では全ての卓球人に役立つ技術解説を行っています!是非のぞいてみてください(^^)
個人レッスンなどはTwitterのDMにて随時受け付けております。
>>わったのTwitter
興味がある方は、是非一度ご連絡ください。長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました!
「卓球フリーランス」という新しい道を切り開いていくことで、皆さんに勇気を与えられる存在になることができたら嬉しいです。